我が青春のコンピュータ


31 はじめてのパソコン3

結局、研究室に隣接する実験室の片隅に置かれていたCommodore 64の元箱からマニュアルを見つけ出した。

マニュアルは薄っぺらなもので英語で書かれている。

(アメリカ製だから当然か...) (ヨシオ)

ヨシオはマニュアルの目次からSPEC(仕様)の項目を探し当ててそのページを開いてみた。

どうやらRS-232Cの端子の形状が違うようだ。(右図、上がRS-232Cケーブルの端子。下がCommodore 64の端子)

さらに読んでいくと、プロッタに付属していたRS-232Cの端子と Commodore 64のRS-232Cの端子のどのピンとどのピンを接続すればよいかを 説明しているページを見つけることができた。

「先生...このパソコンとプロッタはそのままでは接続できません。」 (ヨシオ)

「そんなことはないだろう!! オレの家のステレオだって、 アンプはマランツ・ プレーヤーはビクター・ デッキはナカミチ・ スピーカーはボーズ ...全部メーカーは違うぞ!!」 (T先生)


私は何もT先生のことをこき下ろしているのではない。  当時、パソコンと周辺装置を接続するインタフェースのコネクタは、 規格が統一されていないものも多く、 接続できないのであれば接続ケーブルを自作して使用するのが当たり前という時代である。


ご立腹のT先生をなだめつつ、ヨシオは当時のパソコンの互換性の低さをとくとくと説明した。

「ヨシオ、それは何とかなるのか?」 (T先生)

ヨシオは電気工学の知識は持ち合わせていなかったが、 「たむら荘」の先輩方やカワイ先輩に相談すれば何とかなるのではないかと思った。

「この説明書に書いている配線のケーブルがあれば、おそらく何とかなると思います。」 (ヨシオ)

「そうか。じゃ、まぁ何とか頼むわ!」 (T先生)