我が青春のコンピュータ


18 たむら荘4

攻略本の製作といっても、そんなに容易な事ではない。

まず、売れ筋の科目の選別・難攻箇所の把握・章立てなど(要するにリサーチと企画)... 実際に執筆する前にやらなければならないことは山ほどある。

とくに、昨年度の受講内容を把握することが最も大切なことだった。  そこで、”ノーティ”とあだ名される、主に女子学生の登場となる。  とにかく几帳面で、先生の話した言葉を一言一句漏らさず書き写す能力に関して言えば、只々脱帽である。

ノーティが書き残したノートは値千金である。 しかし、そのノートを手に入れることもまた容易ではなかった。  先輩・後輩・サークルの仲間・友人の友人・更には彼女の友達・etc... ありとあらゆる人脈を駆使してノートを手に入れたら、いよいよ執筆開始だ。

まずは章立てと必須事項・重要事項等のチェックシートを作り、それに従ってただひたすら書き続ける。  だだし、単に書いているだけではない。 いかに要領よく、且つ解りやすく書けるかを常に意識しながら... つまりは読み手の気持ちになって書けるかがポイントだ。  書いては消しを何度も繰り返して、やっとの事で初稿の完成となる。

だが、これでは終わらない。 「たむら荘」の住人の多くに査読してもらい、徹底的な校閲(ダメ出し)を受ける。

ここが「たむら荘」の「たむら荘」たる所以である。

まず、理科系の学生の書いた文章は確かに論理的ではあるが、読み手を引き込んでいくような文学性や面白さに乏しい。  反対に文科系の学生のそれは、確かに「読ませる文章」ではあるが抽象的に過ぎる嫌いがある。

それを文系・理系を問わず、実に様々な視点からの校閲を受けるのである。  結果として、初稿からは想像もつかないほどの出来ばえの攻略本として仕上がるという仕組みだ。

「たむら荘」には、廊下の突き当たりに ”図書館” と呼ばれる開き戸のついた半畳の押入れがあり、 そこには有に100冊を超える攻略本が分野ごとに分類されて収蔵されていた。  歴代の諸先輩の残した遺産である。  過去の攻略本の記述から見て、どうやら昭和40年代の中頃からこの ”事業” は始まったと思われる。

難解な箇所をどのように表現して良いか迷った時など、それら諸先輩の労作が大変参考になった。

結局この年の7月にはヨシオも受講料や攻略本の代金として約10万円を稼いだのである。

長々と 「たむら荘」 の事を書いてきたが、ヨシオを語る上では欠かせないバックボーンである。 読者にはご容赦されたい。