我が青春のコンピュータ


16 たむら荘2

ヨシオが 「たむら荘」 を選んだのは、ひとえに家賃が安いという点に尽きた。  従って、どのような人たちと同居するかなどということは、全く考えていなかったのである。

しかし、下宿に住み始めて一月も経たない頃には、 どうやらこの下宿は ”名にしおう変人” たちが集合しているらしいということが分かってきた。  良しにつけ悪きにつけ、非常に個性的な同居人たちの奇行ぶりを話し始めれば切が無いので ここでは省略するが、かと言って皆成績が悪い訳でもない。

どの学生も何かしら一芸に秀でていて、ことその分野に関しては皆一箇言あるような連中だった。  期末試験の前になると、物理は○○先輩・世界史は□□君というように、 異様なくらい頼りになる同居人たちである。

さて、ヨシオはどうだったかと言うと、実は得意分野がひとつだけあった。

「地学」である。

子供の頃に読んだ「地球と天文の図鑑」という学習図鑑がきっかけとなって、 だだをこねて祖父に買ってもらった口径6cmの天体望遠鏡で土星の輪を見たり、 近所の河原で色々な種類の小石を掻き集めてきては、小学校の担任に「これは○○岩、 これは△△岩」と説明をする少年時代を送ってきた。

しかし、学校の勉強にはどうも馴染めない。 高校受験ではやっとの事で地元の進学校に入学はしたものの、 お世辞にも成績が良いと呼べるような生徒ではなかった。 唯一、地学の成績だけが優秀で、 校内では常にトップ。 全国レベルの模擬試験では地学だけはトップ10の常連に名を連ねたが、 他の教科は散々な成績だった。

そんなヨシオにも進路を考えなければならない時期がやってきた。

本人の希望としては、やはり地学に関係した仕事に就きたいと思うのだが、 ヨシオの住む田舎にはそのような職種は皆無であった。  それなら、大学に進学してみようかとも思うのだが、この成績では合格はまず不可能だろう。  さらに困った事に、地質学科の殆どが難関の国公立大学にしかない。

唯一の救いは、入試制度が大幅に見直されて共通一次試験が実施されることであった。

従来、国公立大学の入試問題は難問奇問が大半であり、 とくに郡部の高校からの合格は余程の成績優秀者でない限り望み薄とされていた。  ところが、共通一次試験では5教科7科目という広範囲な受験科目を課す事となり、 狭くて深い学力から、広くて一定以上の学力が求められるように大きく様変わりしたのである。  これは郡部の高校生にとってみれば、この上も無いチャンスであった。

かくして、ヨシオは地元にある国立大学の受験にチャレンジすることとなった。 (幸いにもこの大学には地質学科が設置されていた)

苦手科目(=地学以外の科目)の克服には手を焼いたが、何とかギリギリのラインで一次試験を突破。  二次試験は得意の「地学」で受験。 やっとの思いで合格を勝ち取ったのである。