我が青春のコンピュータ


11 測量学のレポート1

手書きのレポート

測量学の講義(?)は終わりに近づいていた。

「それではこれで終わりますが、この授業の感想をレポートに書いて提出してもらいます。  期限は今週中。 事務室に提出してくださいね。 最後に何か質問はありますか?」(先生)

即座に何人かの学生が手を上げた。

「先生。やっぱりこれからはコンピュータの時代になるんですか? コンピュータができれば就職に有利だと言う人もいますが、実際のところどうなんでしょうか?」(学生)

「そうですね。これから社会にどんどんコンピュータが導入されていくことは間違いないですね。 その意味では、正しいコンピュータの知識を獲得しておくことは必要だと思います。 ただ、ひとつだけ誤解してもらいたくないのは、コンピュータのことを理解していることと コンピュータを扱えるということはまったく別の次元の話だということです。」(先生)

先生は続けた。

「コンピュータの道具としての特徴や、社会に及ぼす影響を十分に把握しておかないと、 宝の持ち腐れになることもありますよ。

コンピュータの能力を過信してしまうと、大失敗することもあります。  とくに、人間にしかできないことをコンピュータに無理やり任せてしまうことは危険ですね。

たとえば、人を愛するということ。  コンピュータを使えば、男女の相性を数値化して恋愛の相手を判断させるビジネスだって考えられます。

でも、それは本来人間が自ら持っている大切な自己判断の領域に属するものであって、 コンピュータの計算結果を参考にこそすれ、決して最終的な判断までコンピュータに任せるべきではないと思います。

そう言った意味で、皆さんにはコンピュータの事を正しく理解してもらうことの方が、 コンピュータを扱う能力以上に大切だと思います。

このことを踏まえた上で、コンピュータの技術も勉強してください。  簡単に言えば、単に使える人ではなくて、世の中のために具体的に役立てることができる人 が求められるのだと思います。」


当時のレポート

ロットリングペン

当時はワープロも無ければ当然パソコンもない。 必然的にレポートは手書きである。  卒業論文を書く場合は万年筆で清書する。 また、グラフや図を用いる場合は ロットリングペン や製図用の テンプレート雲形定規などを用いていた。

学生たちは、ロットリング製品を所有ただけで、何となくプロっぽい(何の?)気分になっていた。

この時代、字の上手い者とロットリングペンの扱いの上手い者はかなり得をしていたと思う。  内容的にはイマイチなレポートでも、字の上手い学生の書いたレポートは 誰がどう見ても立派に見えた。 ヨシオはいわゆる「理系の字下手」で、 ミミズの這ったような字だったので、この点ではかなり損をしている。